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コラム

同人の声 (2015/10/08更新)






富田裕 新同人紹介 冨岡悦子さんのこと
 冨岡さんとは長らくパウル・ツェランの詩を学ぶ研究会で御一緒させていただきました。
 ドイツ語の詩を、日本語を母語とする自分の身体そのものとして読み込もうとする姿勢にはいつも敬服していました。
 近現代ドイツ抒情詩を中心に研究活動をなさっておられますが、アンゲルス・シレジウスのようなバロック詩人の神秘的な詩にも愛着を感じておられ、神秘思想が言葉と心身とを調和させようとしていたことに強い関心を抱いていらっしゃる印であると思います。
 ご自分でも創作をなさり、優れた詩や散文を数多く発表なさっていますが、その根底には、ツェランの詩「テネブレ」を扱った御論考にもあるように、「祈りと呪い」という、生命と死との相克の中に人間は生きているのだという緊張感が認められるのです。
 今回、日本詩人クラブの詩界賞を御著書『パウル・ツェランと石原吉郎』が受賞されましたが、『同時代』同人として「祈りと呪い」を様々なかたちで表現してくださることに大きな期待を持っています。



方喰あい子  同人近況報告

 
鎌倉市雪ノ下に、鎌倉市鏑木清方記念美術館がある。この記念館にご縁があり、本年七月に、横浜金沢文化協会主催、歴史講演会「横浜金沢と鏑木清方」(講師は記念美術館学芸員の今西彩子氏)を、サポートさせていただいた。最近、テレビ番組の「ぶらぶら美術・博物館」や、「美の巨人たち」で記念美術館が放映されて、好評でした。清方は幼少期より、『江戸名所図絵』に掲載された金沢の風景に憧れて、大正七年より金沢でひと夏を過ごし、大正九年(四十二歳)に、金沢・君ヶ崎に別荘を得て、昭和十四年(六十一歳)に手放すまで、金沢に親しまれた。《朝涼》は、この地ゆかりの名画です。また、称名寺の洞窟に雨宿りする絵日記、野天の村芝居の絵日記などは、当時の金沢が偲ばれて微笑ましい。日露戦争、関東大震災、第二次世界大戦の時代を生き抜き、九十三歳で逝去した鏑木清方が、多くの方々に親しまれることを願っている。


影山恒男  近況

 
第二次『同時代』の同人だった中村邦生(作家・英文学者)さんと千石英世さんが監修している『小島信夫短篇集成』(水声社)が昨年から刊行されています。その第五巻の解説がいとうせいこうさんで、私も月報の執筆を依頼されて「小島信夫と『同時代』―若き日の交友の一側面」というエッセイを書きました。第一次『同時代』を所蔵している宇佐見森吉さん、坂井信夫さん、島村直子さん、重田暁輝さんから資料提供をいただいた。
 一高二年のとき、宇佐見英治さんと小島信夫が一高三高戦を応援しに京都へ行って、その夜に宇佐見英治さんの実家の芦屋に泊まって、翌日宝塚歌劇を鑑賞に行ったという回想記の発見があった。先日、宇佐見さんの妹さんの前川佳子さんの展覧会でそのことを話したら、うっすら記憶が蘇られたようでした。
 私が常任幹事としてお手伝いをしている中村真一郎の会が発行している『中村真一郎手帖』10(水声社、2015.4)に「堀辰雄と中村真一郎――交友とヴィジョンの一側面」というエッセイを書きました。昨年の講演の内容を少し含んでいます。昨年亡くなったガルシア=マルケスについての中村真一郎さんの言及にも触れました。
 近々刊行される『日本キリスト教歴史大事典』改定電子版(教文館)に「山崎栄治」の項目を依頼されて書きました。山崎栄治さんは片山敏彦、佐藤春夫、堀口大学から賛辞を受けたこともある第二次『同時代』の同人であり、フランスのガリマール社の “
Anthologie de poésie japonaise contemporaine” に「驢馬は信じる」が翻訳掲載されている詩人です。
 間もなく2018年は第一次『同時代』からの中心的な推進者だった宇佐見英治、矢内原伊作とその友人であった中村真一郎、福永武彦の生誕百年になります。先達の文学的なお仕事などを再検討するような企画ができたらと願っています。



大川公一  最近の同人の仕事
 
中江兆民の息子・丑吉のことを調べていますが、父・兆民のこともおさえておかなければ、丑吉の全体像をつかめないと思い、幕末から太平洋戦争までの近代史と政治思想について改めて勉強中です。小生の手に余るなと感じつつも、カタツムリの歩みのごとく、少しずつ前進しています。五年・十年計画です。


大重徳洋  近況
 
畑仕事で日々を過ごし、自然のリズムにあわせて生活している。
 北総台地の丘で野菜をつくるほかに、隣接する林を手入れし、倒木でストーブ用の薪をつくり、竹で楽器をつくっている。納屋の屋根から雨を集めた貯水槽では、メダカ(数年前から近くの谷地でも見なくなった)を養殖しているから、第一次産業農林水産のどれもやっているということになるか。
 詩の素材の多くは、丘での滞在から得られる。脳の神経細胞が発火し、はっとする瞬間。それはいつも偶然の発見やできごとだ。大きな自然の息づかいのなかで、いのちのふしぎを楽しみながら、私もしばし呼吸させてもらっている生きものであることを実感する。
 大震災後、カブトムシやトンボ、モンシロチョウの数が減った。原発事故が関係しているのかどうか。気になっている。愛着のある土地に戻りたくても戻れない多くの人がいることが頭から離れない。被害の甚大さと深刻さ、そしてなんともやっかいな事故処理を考えれば、おのずから選択は決まってくると思うが、そうならない。人間だけは自然の生物とはちがって、勝手が許される特別な存在だと思っているのだろうか。


岡村嘉子
 東日本大震災後のドナルド・キーン氏の考え方に心を打たれたからでしょうか。日本文化に憧れて、ご自身の意思で日本へいらしたり、或いは留まられた外国人の方に、最近はことに親近感を覚えます。そのような思いをさらに深めるきっかけとなった研究論文「禅画とヨーロッパ、一九六〇年前後の展覧会をめぐって」をこの夏は書いておりました。
 ヨーロッパで禅画展が相次いで開催されていた一九六〇年代当時、日本において禅画は、美術史上軽視されていた存在でした。日本人に代わって禅画の価値をいち早く評価した、仏教美術研究者クルト・ブラッシュや、禅理解を普及させたと思われるエノミヤ・ラサール神父等の人々及び、第二回ヴァチカン公会議をはじめとする二十世紀のヨーロッパの人々の精神的希求が垣間見られる出来事について調べることは、私の人生で果たすべき課題をも教えてくれるように感じました。
 拙論は『仏教美術論集 第七巻 近世の宗教美術』に収録され、二〇一三年十一月、竹林舎より刊行されます。


影山恒男  近況

 今年は堀辰雄没後六十年ということで、岩波の『文学』(9・10月号、担当は松崎一優さん)が特集を組んだので、私は『菜穂子』をめぐって書かせていただいた。堀辰雄が残した構想ノートはすでに復刻されているけれども、福永武彦も謎だとした出典の問題などが残っていた。偶然の機会にその構想ノートの中のフランス語の引用がジャック・シャルドンヌの『祝婚歌』からのものだと分かったので、神奈川近代文学館へ出向いて調べ、昔山崎栄治先生に習ったフランス語を思い出しながら、訳本と照合して一つの方向を出すことができた。
 来年四月刊行予定の『芥川龍之介新攷』(翰林書房)に芥川龍之介と堀辰雄のことを書くように依頼されたので、芥川、片山廣子・總子母娘、堀の四人が追分にドライブした体験の小説化についても言及することができた。この二つのエッセイについて池内輝雄さんから貴重な資料の提供を受ける僥倖にも恵まれ、暑い夏を過ごすことができた。


柏田崇史  2013年8月現在の近況報告

 「玄濤」という俳句雑誌の編集人をしています。年4回の発行ですが、巻頭文やら同人の俳句の選評をしなければならないので結構忙しない。同人は9割以上が女性で、高齢の方が多く、必然的に色んな雑用をしなければなりません。新年会、納涼会、合同句集の手配に始まり、毎月の句会の世話などもあります。

 他にも俳句雑誌や詩の雑誌の発行の手伝いをやっております。一時は十誌を越える詩歌関連の定期物を刊行していましたが、主宰が亡くなったりして廃刊となり、今は半分位に減りました。その合間を縫うようにして単行本を造っています。

 出版業界も高齢化の波は避けられず、特に製作現場では廃業が目につきます。私にとっては手足となる、端物印刷屋や箔押し屋さんの廃業は、みなさん職人であるがゆえにかなり手痛いものがあります。

 あと材料関連で素材の減少は情けないものがあります。素材に拘る方がいなくなり、また予算的にも絞られてきて、上製本ではなく並製本で十分といった流れになっています。電子本なるものが注目されているようですが、あれは本ではありません。本とは紙やクロスなどの触感やインクの香り、頁をめくる音や栞を挟んでいればすぐに再読が出来るといった総合文化でもあります。ささやかな営為ですが、しばらくはその傍らでお手伝いをしていきたいと思っています。


方喰あい子
 八月二十二日から三十一日の間、日本ブロンテ協会主催「ブロンテカントリーを訪ねて」に参加しました。今回で、三回目になりました。

 イギリスのハワースにある、ブロンテミュージアムに入館し、特別のご配慮で拝見した遺品のなかに、エミリ・ブロンテが使っていたという、動物の骨で作った灰白色の櫛と彼女の遺髪で拵えたダークブラウンの長いネックレスが入っていました。それらを目の当たりにして、エミリが其処に在るような不思議な感覚に陥りました。少しずつ、エミリの詩集にも触れていきたいと思う。

 ケンブリッジでは、ブロンテ姉妹の父親、パトリック・ブロンテの母校、セント・ジョンズ・カレッジを訪ね、彼はどのあたりの部屋を使っていたのだろうか。仲間と一緒に、苦学の様子を想像しました。自由時間に、街を歩き、ケム川の舟遊びを楽しみました。素敵な街でした。

 アイルランドでは、パトリック生誕地の跡地やトリニティ・カレッジを訪ねるなど、つかの間、日本の酷暑から離れられた今夏でした。


川中子義勝

 八月の後半、南ドイツ、ドナウ川河畔のレーゲンスブルグに滞在した。かなりの時間を大学図書館で過ごした。勝手知った町で、久しぶりに、ゆったりと時間が流れる、そんな日々であった。ここ数年、現代文学における聖書と詩の関わりについて調べている。今回は、二十世紀を生き、キリスト教詩人と目された人々を振り返る機会を得た。特に二人の詩人に注目した。一人は、かつて詩集『月のなかの眩暈』を紹介されたことのあるクリスティーネ・ラヴァン。その神経質で繊細な作品表現は現代の詩にも通じるものがある。もう一人、ルドルフ・アレクサンダー・シュレーダーは、教養の伝統にこだわりを持ち、その故に今日では保守的としてあまり顧みられない。対照的な二人だがいずれも日本にはあまり紹介されていない。後者に関しては、専任校の図書館に一冊の蔵書もなかった。以前、ライプチヒの古本屋で見つけた選詩集『宗教的歌曲集』が関心を寄せる契機となった。彼が讃美歌詩人を論じた散文をまとめてコピーすることができた。


清水 茂  またこの季節が

 九月二十七日夕、受話器を取ると、「共同通信のMと申します。昨年もお電話させていただいたのですが……」とやわらかい女性の声が語りかけてくる。咄嗟に、また季節が巡ってきたのだなと私は思う。彼女が全部まで用件を言わないうちに、私はもう答えている。「イヴ・ボヌフォワさんの件ですね。」彼女の声にかすかに含み笑いの調子が聞き取れる。「じつはそうなのですが、今年は十月十日の可能性がもっとも大きいと思われるのですが、その折には、何かお話をいただけますでしょうか。また、お電話させていただきますが……」「承知しました。なにしろ、ボヌフォワさんは私のいちばん尊敬している友人ですから、よろこんでお話でも、文面でも……」

 すでにここ十数年にわたって、この季節になると、私は軽い緊張を強いられることになる。ノーベル文学賞の選考委員会の決定にかかわることなのだが、当の詩人自身もおそらく苦笑しながら、パリのご自宅で待機させられるのではあるまいか。幾度かは最終的に最有力候補と言われながら、政治的な絡みもあってか、事柄は毎年ただ繰り返されるばかりだ。私にとっては、詩人の仕事の真の価値とはおそらくどんな賞にも左右されるものではなく、人間的真実とのかかわりの深さによるのだと改めて確認させられる季節でもある。










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